リサーチの信頼感とヒューリスティック
前の投稿をもう少し詳しくまとめてみた。
経験と記憶 (リサーチにおいて) - Hello World By Idenarix http://t.co/FvLChWertA
— Idenarix (@Idenarix) 2015, 10月 12
記憶の態度と経験の態度
時間の連続性
スパンの長いリコール式の調査を嫌がって、毎日少しずつサンプルを変えて直近1週間のことを答えてもらうようなケースもあるみたいだけど、これも時間の間隔が短かっただけで結局は同じことのような。そもそも論とリサーチの信頼感
経験と記憶 (リサーチにおいて)
"経験と記憶"の違い
これ、リサーチの視点としてもとても重要だよ。≫ダニエル・カーネマン: 経験と記憶の謎 | TED Talk | http://t.co/tU6kU7NRhA http://t.co/9ymDKG2aED
— Idenarix (@Idenarix) 2015, 10月 11
リアルタイムデータとリコールデータはまったく別のもの
その時とるべきデータは、その時とるべき
センサー技術のハードと、データ分析のソフトが直面のハードル
- リアルタイムを捕らえるためのセンサー技術をあつかうスキルセット
- 日常的な消費行動に極力影響を与えないような限定的な聴取からインサイトにつなげていくスキルセット
- 属性データになっているセンシングデータをあつかうデータ分析のスキルセット
ただし、リコールするべきデータは、リコールされるべき
日本のソーシャルはビッグデータ向き?
Social Mediaの使い方は国によっても傾向が大きく違うけど、やはり欧米系の方が、ひとつのPostの中身が意見としてまとまっていて、Netnographyのような分析に適している印象。
1つのポストに含まれる情報が多いので、内容分析とかSCATみたいな手法で質的なデータ分析を行うことがわりとできる。
一方で、日本は個々のポストに含まれる情報量はたいしたことないので、ビッグデータ的なアプローチやマシーンラーニング技術で量(大量のデータソース)から質(インサイト)を引っ張り出すようなアプローチの方が適しているのではないかと思ってみたり。
これは、わりと古い記事だけど、ちょっと思い出したので。
日本語ツイートの情報量は、世界で2番目に少ないらしい - TEXT/YUBASCRIPT
もちろん、テーマやプラットフォームによっては情報量が多いケースもあったりするので一概には言えないけどね。
ビッグデータ時代のデータコレクション
タイムマシーン経営とビジネス領域
結局、早朝(というか深夜)のウェビナーにリアルタイムでは参加できなかったけど、近いうちに録画したものが送られてくるとか、こないとか。
詳細はそっちを見るとして、地球の反対側で似たようなことを考えている人がいるってことが非常に面白いなあと感心してしまう。
まあ、考えてみれば、文化や歴史は異なるにしても、西欧化された産業社会の中で、私企業のマーケティング活動という世界に身を置いていれば、感じることや考えることなんかも似通ってくもんなんだな。
具体的な形として生まれてくるものが異なるのは、どのくらい感じることや考えることを形にする体制とか、まわりの環境とか、人々の姿勢や態度みたいなものが関わってくるでしょうね。
そういう意味では、アメリカや欧米がマーケティングの歴史が長い分だけ、生まれるものも先行しているのはある意味当然なのかな。
少し前に、タイムマシーン経営なんて言葉もあったように思うけど、MRの世界でもおなじような考え方ができるのかもしれない。そもそも、Social ListeningやMROCみたいなものもそうだしね。
ただ、MRって、特に定量畑は、”我々は統計学に基づいているんだ”って姿勢に真面目だから、うまく取り込めない状況なんかも出てきそう。
統計学に基づいた社会調査をサービスとして提供する会社と自分たちのビジネスを定義するのか、クライアントのマーケティング課題解決のためのサポートを提供する会社と定義するのか、その辺の姿勢が重要なんだろうな。
Mixed Method(混合研究法)は大きなパラダイムシフトになりうるか
MR会社は多くの場合、「定量」と「定性」に分かれています。
ほとんどの会社で組織が別になっているのではないでしょうか。もちろん、数人などの小さな会社さんはそんなこともないかもしれませんし、そもそも定性専門の会社もけっこうありますよね。まあ、基本的に、組織が異なるケースが多いわけです。
そして、組織が異なるということは人も別になっているということですよね。
定期的に人事異動がある大きめ(?)の企業ならまだしも、中小のMR会社では定量畑の人はずーっと定量、定性畑の人はずーっと定性、ってん感じです。
これはこれで、専門性が磨かれるという意味ではすばらしいですし、スーパー定量リサーチャー、スーパー定性リサーチャーが生まれることもあるんだと思います。
ただ、MRはクライアントのビジネス課題、マーケティング課題解決のサポートのために存在する訳で、そのために、より深い、より質の高いインサイトを生み出すことが求められるわけです。むしろ、それが存在価値と言ってもいい。
ここの部分を別の言い方をすると、定量的な方法を使うとか、定性的な方法を使うとかは目的ではない訳です。手段ですよね。
でも、われわれMRは、「この課題は定性だな」とか「この課題は定量だな」と考えます。そして、これは、100%定性でカバーできる、とか、100%定量で対応できるという意味ではなく、「定性でやったほうがカバーできる範囲が多いな」「定量でやればおおむねOKだな」とう意味です。
手段によって目的をやや矮小化してませんかね。本末転倒な気がしませんか。
もちろん、すごく大きなPJとかになると、定性フェーズと定量フェーズに分けて~とか考えますが、余程のことがないかぎり、そんなにお金も時間も使える案件なんてありません。
この定量、定性の議論は、アカデミックの世界でも昔から存在するようなのですが、素人の私がいろいろ読んだ範囲では、90年代にこの手の議論は収束したようです。理由としては、「定性VS定量の議論が、あまり生産的な結果をうまな方から」とのこと。
この視点、すごき刺激的ですよね。定性とか定量とかという考え方(それぞれの分析アプローチとしての考え方は必要です。2項対立としての考え方)は、何も生まないということですよね。
そして、アカデミックでは、混合研究法(MM)という考え方が出てきたようです。そして、このMMの重要な点は「実用主義」であるということだそうな。
ビジネスとマーケティングの世界のプレーヤーである、MR会社がいまだ定量と定性の2項対立の中で物事を見ているときに、そのような視点は生産的ではない、実用主義として定量と定性を混ぜて考えるアプローチがアカデミックの世界から出てきているというのに、MR会社も目を向けるべきではないかと思います。
もちろん、MR会社が普段相手にしているクライアント側の担当者も、定量と定性でものごとを見ている傾向が強いので、今日明日ですぐにどうのということではないですか。よりよいインサイトを生み出すという意味で、いろいろ考えてもいいのではないかなと思うわけです。
incrementalでagileなリサーチ
おそらく今後は、従来型の統計的サンプリングだけでなく、理論的サンプリング、選択的サンプリングをもっと取り込んでいく必要が、定性調査だけでなく、定量調査にも現れてくるのではなかろーかー。
— Idenarix (@Idenarix) 2015, 7月 15