Hello World By Idenarix

東京で働くリサーチャーのブログ

ビッグデータ時代のデータコレクション


定量リサーチは長らく調査票によるリコールデータを扱ってきたし、今もほとんどの定量リサーチはこの方法でデータコレクションされていると思う。
また、定量リサーチのデータの多くは、関心のある上位指標とそれを説明しているであるうとされる下位指標で構成されるようなメカニズムに関心のあるテーマも多いと思う。
そして、この上位指標はだいたいがブランドや製品にたいする態度で、下位指標はイメージだったり、経験の有無だったりする。

でも、特に過去の経験を取りたい場合に、調査票を使ったリコールデータは、これが正しいから使われているのではなく、人の頭の中を記録する方法が他になかったからこの方法を採用するしかなかったと言うのが正しいはず。

また、リサーチは、データコレクション、分析、伝達のステップに別れるけど、それぞれ、手前のステップがちゃんとしてないと意味がない。
伝達はいわゆるレポーティングで、分析はデータ処理や解析なんかだけど、割とここは手前のプロセスと後のプロセスで、やる事同士が見た目のレベルから連動するので新しい分析は受け入れられ安い。
一方で、データコレクションは結果に対して直接的に影響を及ぼさないケースも多く、あまり投資されない。
いったん数字やデータになってしまうと、どのようにその数字が生まれたのか、についてはあまり議論されない、と言うか、あまり関心を持たれない。

最初に調査票に記憶を落としていく方法論は正しい方法ではなく、妥協案だと話したけど、リサーチの結果にデータコレクションへの想像力が働かないので、新しいデータコレクションの方法はお金を出してもらうのが簡単じゃない。
より正しい、より正確なデータを新しい方法で集めても、出てくるチャートの軸が変わらないなら投資はできないって感じ。

自分も定量リサーチをやっている人間として気持ちは分かるけど、この回答バイアスやデータの信頼性みたいなことにちゃんと意識を向けないと、正確にはもっと反省しないと、調査畑以外の人が調査を見た時にとか、調査結果を見た時に、なんじゃこれって思うんじゃないかな。
門外漢のゼロフラットな視点ですごく怖いし往往にして正しいしね。

どこまで現実的に見ていいのか分からないデータをそのまま使い続けるのは、アクチュアルなデータを直接的に扱えるビッグデータ的なやり方に比べて説得力なくなると思うんだよね。

ビッグデータサーベイデータの比較という視点でも、サーベイ側はもっとデータコレクションの中身を考えるべきだと思うわけですよ。